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岡田勇人

岡田馬場


オフィスマウンテンの若手2人でユニットを組みました。岡田と馬場で岡田馬場です。おかだのばばと読みます。馬場は4月から高校教師として大阪に赴任する予定なので、これが初公演で解散公演になるかもしれませぬ。岡田は求職中です。



左から馬場、岡田





時形図

演出・振付:岡田勇人・馬場祐之介

作・出演:岡田勇人


岡田馬場初作品のタイトルは「時形図」です。中目黒から祐天寺を歩いていたときに、この細い道は昔の目黒川の支流かななんて話を隣を歩いている人としていたら、地形図って時形図だよね、そうだねってなって、この言葉が気に入ったのでタイトルにしました。それまでは「ILL日記 上演版」という仮名でした。(岡田)








【岡田勇人のコメント】


私は其のように生きてきました。今じゃお酒の量も増えるばかりです。昔は飲めなかった強いお酒が水のように沁みていく。脳味噌を主に使っているつもりで内実、脊髄反射くらいしかしていなかったようです。身も蓋もあれば多少は救われるものの今が丹田の力の入れ時のような気がします。立ち上がる前の赤ん坊には戻れぬからせめて背すじと腹すじを並行関係にできぬかなどと、丸まった脳みそは放っておいて、肺胞に空気を、肝臓に勇気を、そうすればようやく真面目な体に対峙できそうな身がしてきました。このような恥ずかしい告白を許せと、耳と目をこちらに注いでくれとは、口を裂けばごちゃまぜの顔で、休日は基本的に巣穴の中でじっとしています。たまに優しい親鳥が餌を運んできてくれて、試しに外の世界に目玉だけ飛び出して、盲点がどこにあるのか内側を探し回っています。少し息んだら網膜が剥離してしまうので、呼吸にも気をつけます。見えるものには用心深く取り込みます。近からず遠からずの傍観者を装います。しかし、いろんなものやことが引き出しに押し入れられたり湧き出たりで片付けられない性癖なもので、いつも最初の一歩に躓きがち。動き出せば、動いているつもりが動かされているのか、今いる場所をはっきりさせないと物騒な言葉に引っ掛けられて、いつのまにか迷子、知ってる道を回る回る、宿酔いの不束者で到底自分が務まりません。何かになろうと努めようにも、練習の仕方がわからないど素人なもんで、酔いが覚めれば元の場所に戻ってる。しまいには戻る場所もわからずに、駅のホームで悔やんでる。悔やみきれずに涙目で習慣の奴隷、いまだ主人にはなれません。三人前くらい頑張っている人を見れば、自分はホッピーセットだな、中おかわり。立ち上がっては萎える、そんな時期を経て書いた「時形図」は、山〜谷〜山という環境における複数の生活者の身体と見えるものと記憶が基になっているテキストです。それを、上演します。



【馬場祐之介のコメント】


1月21日 2/3通し

言葉のフックが声では簡単に処理できてしまう

言葉/身体の2層だけのレイヤー

物に言葉を当てる、身体で言葉を背負う

→はっきりやる


とメモにはあって、その後


稽古。2/3を通す。山縣戯曲とは違う言葉、なにより舞台上の身体が一つだから、まだまだ。身体と言葉をずらすだけじゃ全然だめだ。でも、とてもいい感じ。ボンイヴェールのライブに行く。


とツイートしている。


どうやら2つで複数にはなれないらしい。東と西とか朝と夜とか山と雲とか今と昔とか。でも、演劇だから俳優と観客がいて、今といつかとかこことどこかとかの話を僕らもやる予定でいる。例に漏れず、僕らもよく動くと思うけど、諸動作が始点と終点の中で特定のパターンを描くようにはなっていない。そもそも繰り返せない。岡田くんは今日そう言っていた。言葉との距離が近い遠いとかよりも、書かれた言葉があってだからこの身体があるということが重要なのだと思う。でも、舞台上の岡田くんの身体をだんだん2人とも説明できなくなってきている。舞台に立つ人には何かはあるのだろうけど。でも、少しずつ2つではなくなってきたのだとこれを書いている今は思う。あまり悲しくはない。こことそことあそことかこれとそれとあれとか、そういう質がたぶんわかってきている。雪が降る早稲田であんな話をした記憶がある。


ボンイヴェールは22, A Millionが大好きだけど、ギターロックみたいなノリが強くて残念だった。トリスを飲んで帰った。












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