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執筆者の写真オフィスマウンテン

『NOと言って生きるなら』小川敦子の稽古場日記

8/29 暑かった。なつ。 急な坂のスタジオに行った。稽古場には男ばかり。

漢、おとこ、ボーイ、ジェントルマン。 どうやら会話劇を作っているということだけを頼りに、前から見たただ。 今日初めて見た「NO生き」はリアリズムの会話劇だと思った。嘘ではない。その界隈の人に石投げられそうだけど、ちゃんと会話劇だった。俳優の中で起きていることはわからないけれど、リアルに会話をしているように見えた。 稽古場では聞きなれない言葉が飛び交っていた。 「マイラインが〜」「アンサーが〜」とかとか。気になったけど聞くのも不粋なので聞かない。 9/5 会話劇!から会話劇?になった。 そもそも会話劇とは何かよくわからない。すいません。 会話劇の反対はモノローグなのか。 相手からレスポンスが返ってくるかどうかで会話かそうじゃないかが決まるのかな。それならその相手は舞台上にいる俳優だけでなく客席に対して話しかける→なんかの反応があるってことでも会話劇になるんだろうか。 あ、そうすると全部会話劇になっちゃうのか。 (話を)聞いている/聞いていてかつ、聞いているように見える/聞いているように見えるが聞いていない/聞いているように見えないかつ、聞いていない という状態があったとして、間違いなく俳優は聞いている状態であるが、見た目として聞いているということをお客さんに伝えなければならないとき、立ち位置、目線、身体の向き、とか相づちみたいな記号的なこと以外になにかあるかもしれない。今のところはよくわからないけれど。 たぶんオフィマンがやっていることは、システムを解体して新しいシステムに作り直すことだと思うので、おそらくのたぶん見たことないものができると思う。なるほど!見たことないものが見たいと言う人はこうやって作ればいいのですね。 仮説と実証。 9/12 公開稽古でした。 今日、理解したことは マイライン=聞く側の人がアンサーとして書いた、でも発話しない台詞 ということらしい。←スッキリ! あと、山縣さん曰く 聞いてる人はゆるくストレッチしてる らしい。←へぇ〜 マイラインは話さない台詞らしいけど、話さないのだろうか。。話せばいいかもしれない。 話すということは聞かなければできないことだから、究極の聞くだと思う。個人的興味ではみなさんのマイラインを聞いてみたいと思っている。 それにしても、俳優の内部でなにが起こってるかは、実際にやってる俳優にしかわからないもんだなぁ。見ていてもなにかしらとしかわからない。 自分も場末の俳優だからわかるかなぁとか仄暗い希望をもっていたが、わかりません。そこが面白い。


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