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『NOと言って生きるなら』横田僚平の稽古場日記

更新日:2019年10月30日





10/29 稽古場日記


今回の稽古は、客席と同じ目線で共演者を観る機会がいつもより少ないので、

板の上で、他者の身体を観る事が必然的になっている。

それはメンバーが増えて、稽古を見に来てくれる方々も増えて、誰かが見てくれてる機会が増えたから。あと、全員出てるシーンが多くなった。

だからか、他者がどうなっているか、状態を把握しきれていない。その瞬間瞬間に他者を見ているが、外から見た他者の状態の蓄積があまりない。簡単に言うと他者のことを知らない。

ある程度あった、俳優間での見る/見られるの稽古過程の中での分業も今回は板の上で、行なう。

今回でも最初の頃には客席から見ていた、今はほぼない。だからそこを繋げようと目論む。板の上で自分が見てる視界と、客席に座る人が見てる視界はまるで別物だから。両方を気にかけている事にしたいと思う。

詳しく言うと、自分が見てる視界で起きてる事は、より細かく密やかに見てみたい。それは特に他者の身体に目だけで言えば目で、登ったり降りたり、入ったり沈んだりする時。

板の上で見る他者の部位は、ブドウ一粒のようにコロンとしてたり、自転車のグリップを握る時の右手のサイズにあってたりする。するというか、しそう。

密やかな部位への侵入、そこを発端にして客席から見られてる視界に連鎖した身体が入っておっぴろげになっていけばと。

部位ばっか見てっと把握しきれないのか。

僕は絵を見る時に、めっちゃ近づく、左端下から右端上まで、視界に入るだけの部位がどんな状態になってるか、いちいち確認してから、ある程度平等に、そして好きな部位を強制的に作ってるかもしれない。

一番絵を見ていて難しいのが、どのタイミングで全体像を見るか。はじめなのか、途中なのか、終わりなのか。全体像の時に何を見てるんだろうとよく思う。情報が多すぎるから細かく近づいて、見て蓄積して、そこから離れていく事が多い僕にとって、全体像は休憩みたいなタイミングで見る。摂取する事に疲れた!んでまた近づく。疲れてからの全体像はぼーっと身体に浸透してくるまで待てる。

思うのは近くで見た部位と、遠くで見た時のその部位はまるで別物ってこと。部位中心の世界から、そこに部位としてあるにはこんな身体を持ってるからという世界ぐらい違う。

僕がよく知らないのはこんな身体を持ってるからの方。細かく見る事は自分で編集できるけど、全体像は自分じゃ編集できない。

それは途方もなく、だから良いという感じ。

そんな編集の仕方の部位は、君がそう見てるだけで、こっちは気にも留めなかったよ、むしろ嫌い、など。そんな事されたら全体像自体は怒ってるんですけど、みたいな。

怒ってるか笑ってるか知らないが、まぁ知ろうとするが…勝手に怒って喜んで貰っていいと思う。貰いあって。

あぁ、ぼーっと身体に浸透してくるまで最初から待てるか、先に摂取したくなるかって事かい?

僕は忘れ物をする事に恐怖を抱いています。これはトイレの花子さんが学校のトイレにいないか気にしだした頃からです。だからくまなく環境を把握してから去りたい。自分が見ていないところに、あいつが、もしくはあれがあっただなんて。だから過剰になってる部分はある。

把握にかける時間の長さで起こる遅れは、僕の人生においても決定的な負の打撃を食らわせる。いつも結構全体像に辿り着くのに時間がかかる。一生辿り着けないか否か。だから、なんか部位の蓄積で作る他者は、他者の全体像ではないんだろう。

なんで近いものはよく見えて、遠いものはよく見えないのだろうか。よく見えて…そういう気でいるんだろか。

でも細かく密やかには個人だけのものではないはずだ、客席からも見えるはず。目が登るとか歩く、目が座るとか入る、目が滑るとか握る、になれば身体はもうそうなってるのかな?身体はもうやってるはず。いちど、そこで目を閉じてみようかな。目に頼るのは飽きた、疲れるし。あー、いつもより、耳で腰で肘で臀部で横隔膜で踵で、他者を見ていなかった!でもそれらを他者の身体に近づけることで見るという事にはなってないはず。その時ですらも目は開いてる可能性が高いから。

とりあえず、部位で他者を見てる視界の触感を拾おう。






追記) サッカー漫画に書いてあった事柄。

目から入ってくる情報を脳がはじめて処理して見える。深視力=距離感は左右の目から入った情報を脳が処理して得られる。ポイントは首の傾き方、正確には首が傾いているんじゃなくて、体幹が傾いているのに目線が水平に保たれている。

演劇中に視野を広めよう(必然的に距離に勘付く)と、他者・客席・劇場空間・あるいはその外、を今日初めてと言っていいくらい意識したが、この追記を試してみよう。



 



10/15


目の前の表現者に対して、これは俳優もお客も、どう反応するか、今日の通しでできたとこもあった。通し前の稽古に向けたストレッチも入念にできた。通し前に1時間の休憩があった、ここの過ごし方が難しい。入念なストレッチを経たあとの通しへの2発目のストレッチになるので、それを受け、どういう状態に調整するかが、運命の分かれ道。今日は言葉の考え方を気にし台本とノートをめくった。違ったかも。たぶん言葉と体が連動するか不安になってとりあえずめくったんだろう。ストレッチも第2部に入っていくと新鮮味がかけて、違うパターンの可能性を考え体が微妙に迷いだす。この体験から、本番前どうやって本日の自分の体つきとメンタルを整えていくか日によって、過度にならない敏感さでゆとりも許しながら、調整しようと思う。なるようになるさの一歩手前まではちゃんと調整しなきゃと誓えるか…ここに書いたから誓う。

通しはというと、ページの1、2枚目のマイラインが本当に信頼できるべきものが書けたので、物凄く自信がついて明確だった。それでも体的には細部を詰めないとサボってる部位もある。

自分が発語するシーン、セリフをまだ充分に迎え入れてない感覚。信頼し愛情のあるセリフとの関係ではないかも、まだ。発語する時の体つきにもっと必然性を近づけれそう。古びたマイラインから連想される体の動きに満足してないようだ、自分が。隅々の芯まで意識と興味が注げてない。

かけあいのシーン、かけあう言葉に見合う態度とはなんだろう?また別の次元の課題発見。

岡田君のシーン、聴けたとは未だ言えない。聴いてる姿勢は整えにいったが、マイラインを偶発的に取り入れた印象。

壁沿いのシーン、リップクリームに気を取られすぎた、でもここでリップクリームな気がする。

たたみかける後半のシーン、複数名が喋る事への策略と個人が喋る事への、声、響き、静寂の落差をつけたい。明確な所でごちゃつき、明確に個人に落としたい。

ラスト、信頼できるマイラインを今日は間引く形にした。フィードバックを経て、間引かず強固な塊を出す事に変更。隣人との連帯を頼って、自分の感覚の何かを譲る事をしたい。名義的な譲るで本心の狙いは爆発。

ここでも抽象的な言葉が並んだ。未だ名づけきれてないんだろう。初日まですぐにでもマイラインを調整する。すぐ捨てれるし拾える信頼できる言葉を書ききって、身体を内包しないと。スカスカだと自信がない。



そして、自分のアンサーは間違いなく戯曲を自分はこう感じた、こう読むことにする、役作りに近いかもしれないが、自分の体つきを決める、自分自身のテーマを内包してやりたい。戯曲がこう書かれたのは、こう捉える自分がいるから、それぐらい多様に戯曲は開かれてる。その個人技を踏まえてから本番を迎えたい。未だ間に合う、隅々まで信頼できる響きを見つけた解釈で他者にゆだね、作品の為に、また解釈を更新したい。他者の解釈の影響と喜んで交えれる自分の意志を調整したい。







 



稽古日9/30

初の荒通し。フィードバックをして、稽古再開。

明確に誰に対して喋っているか、それがわかる身体を試す。1度目失敗。なんとなく取ってしまう普通の距離で、「あなたに言ったんだよ」という態度になってしまう。これではあかん。

フィードバック受けての2度目。変化があった。

明確な誰かの部位に喋ってた。目は見れないほどの近さ、相手の背中が耳たぶが落ちた肩が、これほど広く滑らかで、黒子の突起が植物の葉っぱをくまなく見るときのような、拡大だった。落ちた肩の傾斜で滑りたいとも思ったとさえ、後日付け加えれる。

明確に。をおこなうには、作為的に過剰さを最小単位でだす選択をしたい。



稽古日 10/1

3人で会話している。そのうちの1人がマイラインを発語しながら斜めに横切りブツブツとマイラインを発語しながら壁にもたれたあと、会話に戻ってくる。また3人で会話している。

もう1人がマイラインを発語しながら斜めに横切ったあと、わたしたちの周りを歩いている。わたしたちが向かい合って会話していて、1人が会話に入ろうか入らないかしてる。

少し離れてビブスを着用する1人がいる。


素舞台なので、斜めに横切った人は俗に言う、席を立ち飲み物を取りに行った人だろうか?

ビブスの人は、煙草でも吸ってるのかな?







 


2019/9/18 稽古場日記/横田僚平


・稽古3日目

男1の1枚目の台詞は入ってるから、いちいち反応しなくてもいい。あてられ/あたり過ぎなくていい

前頭葉に台本、後頭部にアンサー

男1の台詞、それに対してのアンサー。

台本を聞いて、個人史を想起する。

各々がバラバラで居る感じがした。

男1の台詞、それに対してのアンサー。+微細なストレッチ+後頭部がひっぱられてもどる(相槌)

複数人が同じルール上に居る気がした

きくってことの在り方について。

目は合わない、目は部位を見てる。他者の部位の振動する、言葉の響きを聴きにいく。

聴く在り方の注視しすべきは過敏なところ

アンサーはふてぶてしくもってる、聴き奴隷にならなくて。

&

こないだとあるWSを受けた。聴くっていうのが純粋に楽しめるようになったのはその時のレッスンのおかげかな。その時の聴くって重層的な形があったから、今日もその耳で行ったら、とにかく過敏な気がした。物語の中の耳ってのがあるとしたら、今日はその場の微生物の耳って感じだった。1ミリ進んでみては過敏。の連続。とにかく話が進まない。聴いてるフリというニュアンスがここではいると思う。

耳で聴いてから部位で何かに侵入していく速度。とは別の回路で、耳で聞いてるフリをして頭や部位は侵入しちゃってます。って事もしたい。

一点で本当に聴く、と全体で浴びて聞く。

本当てのも嘘で浴びててのも嘘で、聴くって誇る時と、聞くってニュアンスでいる時。



・稽古5日目

再現するためカウントを取る 感情的に動いてるように見えた、見えたが判断材料 言語が溢れる模写をする 見渡せる視野を確保しつつ個人業務 ダンスに各々の振付の言語感覚がはりつく 言葉と共に立ちあがった瞬間と立ちあがった踊りに言葉を貼りつけた ダンスはいつも興味からテキストからではない ビックサイズの服を売る事を好いてた人に流行りが被って廃ってビックサイズの服を売る事に変わりはない



9/12 公開稽古を終えて

今回はマイラインという造語が稽古場にはびこっている。マイラインとは、書かれたテキストに対するアンサーで、作家じゃない演者個人が書いたテキスト状のもの、テキストが完本してからまたさらに書かれたそれによって、個人は個人なりの物語も駆使して駆除して振り付けられる身体の指示書でもある。

自分はというと、あんにゅいなアンサーの走り書きの生産のみで、身体にパッキパキにくるマイラインを、身体に対して執筆できていない。

マイラインの美味しいところは、他人から見たら隠れてるところ。人間の具象能力を駆使しても駆除されて隠されてしまうところ。

身体言葉の限界を生みだすのはいつも自分。

言葉の精査から色気ダダ漏れ。

&

自分が何やってたかを説明する→人にわかる言葉で→人がそれで踊れる言葉で、

人の耳に強固な意見を投げたい。

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公開稽古でまず、人前の目を避けた なんとなく立って足裏がべったり 体の中で言葉喋れてない 許容範囲の関節などの動きくらい 

言葉を使えない。

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まだまだ悩ましい。悩ましさに明確にぶつかった感がある。公開稽古はそんな感じだった。

&

太一さんに稽古で前言われた事を思い出す。一回上まで登って大きく膨らんでそこからシェイプしていけばいいと。たぶんこの時点で違う言葉や意味を使ってしまってるかもしれないが…

膨大さからシェイプしていく事を成し遂げる必要がある。

&

正直、稽古場日記の言葉を自分で決めることすらできてない。ただ今は質より量だ。

試してない事が多すぎる、身体の可動域が狭すぎる。自分が語る言葉・書く言葉・語りつつ書く身体。

&

①チェルノブイリの空気の缶詰、を売られた

②風であおられてブルーシートが←テレビで今聞いた気になる感覚の言語化



・稽古何日目の想起かわからない

話を聞く間に自分の言いたい話題が見つかりいつか話返す。テキストの順番通りに話返す。黙って聞いてる訳でもないので、言いたいテキストが流れて聞いている。テキスト同士で合致すると、体さらに脈打つ。誤解や興味ある話には先走って合致が起こる。あなたの話に対して乗れなくても遅らせて合致し返す。取って捨てて情報過多で表情筋が鍛えられる。相槌のブレスが無根拠に点在してる、根拠持って並べなおす。

&

リセットしてどこに行っても何もないことはわかった。なにもないことを承知でただ歩く。

&

演劇を見ても何も意味は生まれないというか、それなら高いフライパンを買い美味しい料理を作れるようになることが、演劇をやる時に意味が生まれる。



・後書きという名の前置き

稽古場日記にあてる言葉自体を避けて嫌って決めきれずにいたが、調子がいいので、乱雑に編集してupしてみる。時系列も意味もおかしくなって事実とは違う事になってるかもしれない、発言者もごっちゃになってるかもしれない、自分の言葉と誰かの言葉が混ざり合っている。総じてズルさがあるが、何故か私的に合格した言葉たち、弱音はできるだけcutした。




 



稽古1日目。7ヶ月ぶりのオフィスマウンテン。他の2人を見た。小さいことからコツコツと決めてきたことを人前で実験してるように見えた。本当に小さい第一歩を決めるのって重要な気がした。

横田僚平


稽古2日目。人と話してる時、考えごとしながら会話するよね。という流れで自分は、滝川クリステルとクリス松村とクリスペプラーの事を思い描きながら台詞を聞いた。クリス松村とクリスペプラーはリクエストで追加。白い服の滝川クリステル、ピアスの滝川クリステル。ゲイのクリス松村。黒光りしていて背は低そうなところ。クリス松村の肩パッド。クリスペプラーの髭は整えられた細い筆のようなとことか。しかし、それ以上の事を思い描けなかった。ビジュアルを思い描いただけになった。イメージしたからにはせめて独特なカットにまでは辿り着きたい。台詞も聞いていたが、鳴ってるくらいにしか聞いていなかった。そちらがおろそかなのはまずいでしょ。

そんな時、大谷さんが参加してグッと人の話を聞く人がいるって器が何倍にも広がった。

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