萩庭マウンテンの稽古場からお届けする『かき揚げ鼎談』の第二弾。
前回の振り返りから始まった鼎談は一体どこに向かうのか?
引き続き、オフィスマウンテンメンバーの中野、横田、萩庭の三名がホンネで語らう音声と各自から寄せられた文章をお楽しみください。
写真はそれぞれの食事の記録です。
鼎談②-1 技術を知りたがる観客は何を欲しているのか
鼎談②-2 最強の俳優の条件/オフィスマウンテンと『どもる体』
鼎談②-3 他者が傷つくことへの想像力/口にすることで成仏するテキスト/観客の存在
鼎談②-4 演劇を語る言葉が不足している/おもしろいとは何か
中野志保実(出演)
私は相手との関係性や距離感で使う言葉が無意識に変わってしまうのですが、今回録音をしているとき、目の前に対峙していない誰かがこの録音を聞いていると思うとこんなにも使う言葉を厳選しようとしてしまうのかと少し焦りました。(ただその焦りもすぐ忘れるのですが。)使える言葉があまりにも少ない。 言葉を選ぼうとすると緩んだ身体が少々強張るので(私の場合は、です)、思考を司るのは脳だと考えると、脳=言葉、脳=身体、言葉=身体、つまり言葉と身体は連動しているんだよな、とふと思いました。まるで山縣さんの本のようだなぁ。 これを書いている現在もなかなか文章がまとまらず他者がこれを読むことを考えると本当にこの文章で良いのかと不安になるのですがそれはともかく、今回もBGMを流すような感じで聴いていただけたら嬉しいです。夕飯のお供に、良ければお聴きください。
横田僚平(出演)
聴いてくださる方に3人の言葉が入るという、ありがたいと同時にくっちゃべっているだけの話ですという気持ちがあります。
できるだけ嘘をつきたくないのですが、散々嘘にまみれてきました。言葉を話すフランクさにも重心を持たなければと思います。 外で吸ってるぶんの煙草は風景画のような中で、深呼吸してる感覚があります。 家で換気扇の下で吸う煙草は、そんな美味しくなく、換気扇に吸い込まれる煙のように指を入れたらちょん切られるのかなとか考えます。 そういう怖さを現実的にかわして確実に話すという実感のみで、今後はかわしていきたい。
萩庭真(演出)
『かき揚げ鼎談』の第二弾が公開となりました。 前回の鼎談から二週間後の2月3日、中野さん、横田さんと三人で稽古のあとに話した内容が音声に収録されています。 公開を前提とせず好き勝手に話していた初回に比べ、言葉づかいはいくぶん柔らかくなっていますが、中身は具体性を帯びて、より深く、もう一歩ふみこんだやりとりとなっています。
なぜこのようなかたちで自分たちの声を届けようとするのか。その意図するところは本編のなかで発案者の横田さんが語ってくれているので、是非そちらを聴いてほしいのですが、ここではすこし別の角度からこの『かき揚げ鼎談』という企画について考えてみたいと思います。
鼎談のなかで、中野さんはたびたび「ひとそれぞれ」という言葉を使っています。一方、横田さんは他者がどう感じるかを想定して振る舞いたくないと言います。
このスタンスの違いは何を意味しているのでしょう。
中野さんが依拠している「他者を尊重せよ」という主張は、戦後70年あまり、この国の言論人が繰り返してきたことであり、人口に膾炙した倫理観とも言えます。
しかし、もはやその価値観はぼくらが暮らすこの社会で自明のものでなくなりつつあります。
「自国第一主義」を掲げるドナルド・トランプ大統領のアメリカや、1月31日にEUを正式に離脱したイギリス、昨年は日本でもあいちトリエンナーレの補助金不交付問題が話題になりました。もはや「対話が大事なんだ」と言ったところで、こころに響かないわけです。
いわば横田さんはこうした時代の気分を代弁しています。
ただ、ここでぼくが重要だと考えるのは、それでもこの録音では会話(らしきもの?)が成立しているということです。 それは稽古場という場所が公(パブリック)と私(プライベート)の中間に位置しているからだと思います。公的な場ではついつい立派なことを言おうとしてしまいますし、私的な場では日常のたわいもないお喋りに終始してしまいがちです。そのどちらでもない領域。そこにこの鼎談の意義の一端をぼくは見た気がしました。 また、オフィスマウンテンが演劇を創作する組織であることもこのことと関係しています。 それについては、ハンナ・アーレントの『人間の条件』を引きながら、次回の鼎談で話をしたいと思います。
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